ハナです。
我が家にきたときは毛が短くって連れて行った病院で猫種に「三毛」と書かれた程です。
(猫種類を聞かれなかった)
今はごらんのとおりフサフサです。
見た目は膨らんで見えるためデブちょですが、持ってみると意外に軽く体重は3.5kgです。
ジャイ子に舐められている図です。
同じようにゲッツにもいつも舐めてもらっています。
ハナ自身は爆睡中。
夏なので抜け毛が凄くて毎週のようにシャンプーをしています。
そしたら、洗う度にだんだんと小さくなってしまいました。
でも凄いマズルでしょっ?
我が家で一番、元気な子です。
運動神経が抜群で、驚くほど高くジャンプすることが出来ます。
現在、4kg。

2001/08/01
ハナの病気は1年前から分かっていました。
でも、それは何かの間違いで、、、といつも元気なハナを見て私たちは思い始めていました。
けれど、彼女にその時は訪れました。どんなに愛していても、どんなに良い子であっても、病気の魔の手は一歩一歩彼女に迫っていました。
そして2004年5月10日彼女は天国へと飛び立ちました。
私たちの大切なハナ、私たちも遅かれ早かれ貴女の登った階段を上っていきます。
その時、貴女に会えるでしょうか?
貴女はとても面倒見が良い優しい子でしたから、きっと迎えに来てくれるでしょう。
ね?ハナ!



ハナが私たちの元を去ってから一年以上の月日が流れました。
私は彼女が発作を起こしてから毎日、テキストに記録を残していました。
1つの経験として、いつかUPしようと、、しかし、パソコンをフォーマットしたときに紛失してしまったようで見つかりません。私の記憶が漠然とする前にここの記しておこうと思います。
彼女の子猫達が万が一同じ病気で苦しむことになったときに少しでも参考に出来るように。
メモが見つかれば、もう少し詳しく書けるのですが、、、。

2003年7月30日
初めての検査
大学病院にて心臓検査を行いました。
ハナは我が家で一番活発で運動神経も良く、元気が無い、、なんて姿は一度も見たことがありませんでした。繁殖するので検査は必要と考え他の猫と共に検査を受けました。
が、結果はよくありませんでした。
心臓の中隔と左心室下部の壁が厚くなっていました。
心雑音、脈拍の乱れ等一切無し。

2003年8月11日
再検査
拡張性とは言えないが、そうでないとも言えない、、との診断を貰いました。
確かに、進行するかどうかは観察しないとわからない事でしょう。
心筋の壁が厚い=肥大型心筋症とは限らないから、、。
特に薬を出されることは無く、様子が変になったら直ぐに病院へとの指示を貰いました。
ハナは全く元気で、彼女が病気なら他の子は全員病気だわ!という位でした。
心雑音、脈拍の乱れ等一切無し。

2003年忘月
避妊手術
ヒートのストレスと危険性、避妊手術の危険性。
両方を天秤に掛け、とても悩みましたが避妊手術に踏み切りました。
全く問題はありませんでした。

2003年
薬開始
タイミング良く(?)地元地区の獣医師が集まって心臓の勉強会を定期的に開催していました。ハナは病院が好きでしたので、先生に一晩預けて勉強会へ参加しました。
ゴロゴロで心音が聞きづらいと評判でした。
Enacard Tablets 1 を上げ始めました。
アンジオテンシン変換酵素阻害剤の1つです。
人間の薬だとEnalapril maleate 。
薬のシートの裏側に月、火、水、木、、、と書かれていて緊張する薬です。

それから発作を起こすまでの間、ハナには何の変化もありませんでした。
進雑音無し、うずくまる、大人しくなる、元気が無くなる、食欲の低下等一切ありませんでした。
彼女は避妊手術をしていましたので家の中で自由であり、そのニャン徳で我が家の女王様になっていました。シャーという声が嫌いで、この声を聞くと頭を下げ無言でズンズンと声を発した相手に近づき「パシッ」と一発!そして、そのまま戻ってきます。
そして、誰も彼女にはむかうことは出来ませんでした。

多分、これは進行性では無いんだね。
そう思っていました。

2004年5月

連休前夜

遅い夕食の片付けをしようと台所へ行くと、ハナがいつものように流しに登っています。
「はいはい。洗物するのねぇ」とハナが飛び降ります。
洗い始めた私たちの背中にハナの咳が聞こえました。
毛玉を吐くような咳です。
「あ、毛玉だね」と作業を開始すると、再び咳が、、。
振り返ると、ハナは下半身を引きづりながら台所へ這ってくる途中でした。
「あー!心臓の発作だ!」
途端に動かない下半身を引きづりながらも「くーーーーっ」と苦しそうな声を上げます。
夜間動物病院!
連休中に新しい車が届く予定、今の車はそのときに引き取ってもらうことになっている車検切れ。でも、構って入られない!
ケージに入れるのは不可能だから、猫ベットに包むようにして私がハナを抱き、旦那が運転。
苦しくて時々からだを突っぱねて、声を上げる。
でも、決してツメを出さない。私の顔に手を突っ張ってジット見ているハナ。
「だめ、病院まで持たないかもしれない、、」
ビュンビュン飛ばして病院まで10分くらい。
「心臓の発作です!」と事情を説明して診察台へ。
苦しくて気が狂ったようにバタバタと暴れるハナ。
抑えるのは二人がかり、抑えながらも私は何度も言っていました。
「先生、苦しい思いはさせたくないんです!もし、見込みが無いんならば!」
ラナの時、私は苦しい抗がん治療を彼女に強いたから、、、焼いた骨は腰から下が黒く。
「何か強い薬を投与していましたね?」といわれたことが蘇りました。
そう、あの時誓ったのです。もうこんな事はしないと。
暴れるハナを押さえつけ名前を呼びつづけました。
何本もの注射が打たれました。
そして、落ち着きました。
まるで発作が嘘のように、、、。
私たちは家を戸締りしたかも、記憶に無かったので一度旦那の実家に車の交換をしに寄って、家にもどり猫達を確認して、病院に戻りました。
日付は変わろうとしていました。
ハナはケージの中で横たわり、鼻から酸素を送られていました。
利尿剤と、それによる脱水症状を抑えるための点滴。
声を掛けると「ニャ」と返事をします。そしてゴロゴロと喉を鳴らします。
朝までには病院の流しにある、捨てられて注射器は文字通り山になっていました。
2003年の勉強会の時のハナをこの夜の担当医は覚えていました。
とても人懐こくって良い子ですよねぇ。
朝、いつもの病院にハナを移送しました。

病院では同じように酸素吸入と利尿剤と点滴。
両足が麻痺しているのでサドル型血栓を起こしているのは明白。
でも、今は手術が出来る状態まで戻っていない。
暫く付き添って、一旦家に帰り夕方また、面会へ。
苦痛は無いように見えました。
声を掛ければゴロゴロしながら、返事をします。
手を入れて、耳の後ろをなんども撫でていました。
右足のポウパットが紫色になってきています。

翌日
手術するなら、今しかないと決断の時です。
既にタイムリミットは過ぎていました。
しかし、肺水腫が収まらないと手術は出来なかったのです。
手術が開始されました。
私たちは病院の待合室で、じっと祈っていました。
手術は成功!
詰まっていた血栓を見せてもらいました。
赤いゼリー状の管。結構長かったように思います。
1cm位?あー、もう記憶が定かでありません。
まだ、麻酔で眠っているハナを撫でて、一旦家に帰りました。

夕方また、お見舞いに行きました。
変化はありません。
紫色の足をマッサージしました。どうか血が再び通いますように。

翌日
午前中、ハナに会いに行きました。
食事も食べ、水も飲んでいました。
名前を呼ぶとフミフミして嬉しそうです。
でも、足は紫色でビクともしません。
午後、面会。
足をマッサージして、ゴロゴロさせて家に帰りました。

翌日
退院の許可が下りました。
ハナを連れて家に帰ります。
下半身は動かないけど、上半身で起き上がってズルズルと移動しようとします。
ケージの中にペットシーツを引いてハナのベットにしました。
紫色の足を何度もマッサージをします。
もう、死にかけている毛細血管からにじみ出る体液で両足の間は拭っても拭っても濡れてしまいます。

翌日
旦那は会社です。
私は在宅日でした。
ハナの横で声を掛けながらお仕事です。
ハナがトイレに行くのだ!と言って聞きません。
その場でしてくれれて良いのに、、。
そっと抱いてトイレに置きました。
下痢便、、しかも血便!
私は確かに血の匂いを嗅ぎました。
車の予定が狂って、まだ新車が来ていない。
タクシーを呼んで、病院へ。
検査の結果、、血液は出ていないですよ。
そうかな、確かに血の匂いがしたんだけどな。
一旦病院から家に戻ります。
夕方、ハナの元気が急激に無くなって来ました。
再び血便。今度は本当に赤い色。
慌てて病院に電話して、今度は迎えに来てもらいました。
病院から旦那に電話をしました。
私は一旦家に帰る必要が有り、家に帰ってとんぼ返りで病院に戻りました。
私に電話をしようと電話機をとって先生がいました。
戻った時には、ハナは手術台の上で息を引き取った後でした。
手術したハナの血管が開いて、お腹の中が血まみれだったそうです。
苦しまなかった。それだけが救い。

慌てて会社から戻った旦那は間に合いませんでした。
空けてもらった診察室で私たちは涙を流しました。
特別なハナ。
でも、私がいる時で良かった。
最後が、苦しむ最後でなくて良かった。

後日談
ハナは今、お寺で眠っています。
ラナやコナン達と一緒です。
私は、ハナの心配をしながらも他に頭を占めていた悩みを持っていました。

1つは、治療について。
この病気は心臓を交換するのでなければ、また、新たな血栓が出来、今度は何処が詰まるのか分かりません。そして、その時、私が今回と同じように側にいるとは限らない。
しかも、ハナのようにサドル型血栓を起こした場合、時間がたてば壊死を避けられない。
本来、人間が手を貸さなければ、ハナも血栓を起こした後、ショック死していたと思います。
「安楽死」私たちは治療をしてしまいましたが、この病気は完治することがありません。
ですから、「安楽死」も選択肢に入れて覚悟をすることも必要だと思いました。
「安楽死」を考えた方がいい!と発作が起きたとき友人に言われました。
でも、その選択はなかなか難しいです。

そして、もう1つ
発作が起き「HCM」確定!となった瞬間から頭を離れなかった問題。
ハナが既に生んだ子猫達のこと。
これはブリーダーならではですね。
そして本当に辛い事。
今まで経験したことが無い、悲しんでいる場合じゃないでしょ!というプレッシャー。
ラナの時のように手放しで悲しめない、そうしたいのに、、。
ハナの子猫達はペットとして家庭に暮らしている猫達。
この病気を伝えるべきかどうか、、、。
もちろん治る病気ならば、闘病中にでも直ぐに連絡をしたでしょう。
でも、もし、仮にこの病気だったら治すことは出来ないから。
私は悩んで、そして、オーナー達に向けて添付する文章を書き始めました。

私たちは、ハナが我が家に来てくれて、そして一緒に生活できたことを心から喜んでいます。
ハナが一匹づつ丹念に育てた子猫達。
ハナはとても子煩悩な母でした。
その中にハナの面影を見るとき、私は嬉しさとせつなさで胸が詰まります。
どうか、皆元気にハナの分まで長生きして欲しいと願っています。

最後に、、、
ハナの両親はHCM的に陰性でした。
しかし、この病気はハナのように陰性の両親からでも生まれてきます。
本当に嫌な病気です。
そして、ハナの兄弟は病気になっていません。
時々、突然死についてブリーダーを責めるような言葉を聞きます。
でも、理解して欲しいのは誰も死ぬかもしれないと分かっていて繁殖する人はいないと言う事です。
そして突然死=HCMという結論も疑問を感じます。
そんな馬鹿な、、、。

最近は遺伝子的に検査が出来るようになってきているようです。
今後の発展が期待できそうです。

2006・04・14
パソコンを整理していたら当時書いたテキストファイルが見つかりましたので、修正を加えずにここに貼っておきます。

5月1日午前1時過ぎ
私たちが遅い夕食の後片付けをしているときに、ハナが咳をしました。
振り返ってみると、まるで毛玉を吐き出す時の体制でした。
気になって、2人で振り返りながら、後片付けを進めていると。
ハナが咳き込みながら台所の方へ姿勢を低くして、歩いてきました。
そして、彼女の後ろ足の様子がおかしい事にすぐに気が付きました。
心臓病の症状の一つです。
「あ、遂に来てしまった!」
始めの咳から、苦しがるまで10分はかからなかったと思います。
すぐに車の準備をして、夜間救急病院へ。
キャリーに入るのを嫌がったので、猫ベットにくるむようにしてハナを車に。
車の中でハナの呼吸音が肺水腫を起こしているために、酷く苦しい呼吸に換わりました。
そして、苦しさの為に悲痛な声を上げて私の腕の中で暴れました。
病院に着くまで持たないだろう。私はそう思っていました。

夜間病院に到着して心臓発作であることを告げました。
ハナは診察台の上でも、悲痛な声を上げて苦しみました。
私は暴れるハナを抑えながら、彼女がとても苦しむなら治療はせずに安楽死をしたいと伝えました。
ハナはかなりのショック症状を起こしていましたので、ショックを和らげる為の薬を注射されました。
ハナは幾分大人しくなりましたが、呼吸は速く、ブクブク言うような息を苦しげにしていました。
とにかく肺から水を抜くための利尿剤を注射し、ハナは高酸素室に入れられました。
このとき、ハナの胸の動きは非常に苦しげで、時々悲鳴の様に鳴いていました。
私たちは、このまま付き添っていたいと獣医師に告げると、快く承諾してくれました。
私たちは一度家に帰り、戸締りの確認と他の猫のご飯を整えてすぐに病院に引き返しました。
病院に着いたとき、ハナは酸素室の中で横たわっていましたが、呼吸は随分と静かになっていました。
利尿剤がとても良く効いている。とのこと。
ただ、ハナはしきりに寝返りを打ち、そのたびに悲鳴を上げています。
痛み止めも投与されました。
ハナの肺の水は時間を追うごとに引いていきました。
ハナのシーツを換えて、手を洗うときに、流し台の隅にを見ると、使われた色とりどりの注射器が山のように積まれていました。
呼吸が静かになってくると、今度は脱水症状を起こさないように点滴が始まりました。
ハナにはどの薬もとても効果が出て、状態はドンドン良くなっていきました。
そして、気が付くと外が明るくなっていました。
私はハナの頭を撫でながら、「ハナ、新しい朝が来たよ!」と声を掛けました。
夜間専用病院は通常朝の6時までです。
でも、酸素吸入を欠かせないハナの状態ではホームドクターの開業時間までとても待つことが出来ません。
夜間病院で8時まで預かってもらい、急いで準備を完了したホームドクターの元にハナを移送しました。
夜間病院の先生、そして看護婦さん、徹夜でハナを見てくださいました。
猫の体はとても小さいです。ですから、ちょっとした薬のバランスで状態が悪化する事もあったでしょう。
先生の適切な判断が、ハナの命を救ってくださいました。
私は、きっとあの先生と看護婦さんのお顔を忘れないと思います。

5月1日8:15
ハナに夜間病院と同じ処置を引き続き行う準備が整い、私たちは仮眠を取るために一度家に帰りました。
ハナの両足は血栓を解かす薬を与えているにもかかわらず、血栓は解ける兆しが見えずに足が紫色に変わりつつありました。
診察台の上でハナはゴロゴロと喉を鳴らして、フミフミ仕草をします。
ハナはここの先生が好きなんですよ。
14:00
私たちはすっかり眠ってしまい。起きてから急いで病院に行きました。

5月2日11:00
面会に行きました。
胸のレントゲンにて肺がすっかり綺麗になっているのを確認。
ハナの呼吸は普通の猫と換わらなくなっていました。
心臓の状態も落ち着いていました。
ただ、足の状態がとても酷く、
このまま、薬の治療をするか、外科的に血栓の除去手術をするか決断する事になりました。
私たちは、手術を選択しました。

5月2日12:15
病院から手術開始の電話がありました。
私たちは病院の待合室で、手術の終るのを待ちました。

5月2日14:45
手術が終りました。
詰まっていた血栓を見せてもらいました。
細長いタコ糸のような長さ5mmくらいと、グチャグチャとした5mmくらいの塊です。
ハナは麻酔でウトウトしています。
手術の成功に私たちは安心して家に帰りました。

5月2日19:00
面会に行きました。
ハナの足は片足の肉球が少しピンクになっています。
が、殆どは紫色です。左足は特に酷いです。
血が通えば、もっと劇的によくなるのかと思っていたのですが、そうでは無いようです。
急激に血が通うと逆に、血が溜まっていた場所の毒素が一気に身体に流れるため良くないのだそうです。

5月3日11:00
面会に行きました。
ハナの足は変わりありません。
でも、名前を呼ぶと私達の方に状態を向けます。

5月3日19:00
面会に行きました。
ハナはご飯を食べました。
撫でるともっと撫でろと催促してきます。
足はまだ状態が変わりません。
先生の話ですと、上の方から少しずつ血行が戻っています。との事。
でも、両足ともブラブラしていて、私たちはとても不安です。

5月4日 16:00
面会に行きました。
足を刺激すると引っ込める仕草をする。と聞いていたので期待。
モモの筋肉をつかむと確かに引っ込めようとします。
少しずつ元に戻っているのだろうか。
ハナは気分は良さそうです。
それでも、黒紫の左足に肉球がとても不安です。
     :
     :
5月8日 夕方家に連れて帰ります。
ケージの中にハナの寝床を作りました。
キャリーから自分で飛び出そうとしました。
麻痺している足の皮膚から体液が浸透してきます。
度々ふき取りますが、毛が乾く事は有りません。

5月9日 午前中病院に連れて行きました。
ヘパリンの注射を受けました。
ペニシリンといつものタブレットをもらいました。

5月10日 朝、下痢をしていてケージの壁にも沢山付着していました。
ウンチの臭いではなくて血の匂いがしました。
一通り片してから病院へ
便の中にはそれ程赤血球が含まれていないとのことで、ヘパリンの注射を打ってもらって
一旦ハナを連れて家に帰りました。
夕方、再び少し下痢便をしました。
呼吸が少し荒くなってきて、私を何度も呼びました。
ハナをキャリーに入れるのは無理なので、病院からむ換えに来てもらいハナを抱っこして連れて行きました。
一度家に帰りました。
30分くらいして病院から電話がありました。
体内の出血が酷くて意識が遠のいている。点滴をうとうにも脈が弱くて打つ事も出来ない。
タクシーを呼んで病院に駆けつけると、丁度、先生が私に電話をしようとしているところでした。
ハナはちょうど、天国へ旅立った後でした。
蘇生も頑張って下さったそうです。でも苦しまないで死ねるのなら、これで良かったと思います。

振り返って思う事。
ハナが発作を起こした時、安楽死を私は考えました。
肺水腫の苦しみが継続していたら、私は決心したでしょう。でも意識が戻り、返事をしてくれるハナには私はそうする事は出来ません。